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ゆとりOL女子、弁護士を目指す

東京生まれ東京育ちの箱入り育ち。 偏差値40以下の私立小・中学校を経て まさかの偏差値70の高校に合格。 大学卒業後、某一部上場企業へ就職。 社会人5年目、27歳となった今、弁護士を目指すゆとりOLのブログ。

キャリアの転換について

わたしは某一部上場企業にて約5年間、会社員として働きました。

そんなわたしがキャリアを転換し、法曹を目指すことにしました。

 

そんなことなら学部卒業後ストレートで法曹を目指していればよかったのに、

その5年間がまるでムダじゃないか。

 

わたしの決断を聞けば、そう思う人もいるかもしれません。

でも、わたしはこの5年間がムダだったなんて、ちっとも思っていません。

 

現実に働いてみないとわからないことが、この5年間でとてもたくさんあることに気づかされました。

最も痛感していることはというと、

 

“仕事に費やす時間はあまりにも長い”

 

ということです。

これは頭ではわかっていても、体験してみて初めて、本当の意味でわかることだと思います。

 

わたしの持論では、1日のうち仕事にかかわらずに起きていられる時間は5時間しかない、と考えています。

 

仮に残業がなかったとしても、通常の会社員は1日に8時間程度、現実に労働します。

1日につき1時間残業すると、それが9時間になります。

また、お昼休みや通勤時間が全くのフリーな状態かといわれると、それも違います。

その日の会議の内容を考える等、仕事のことで頭がいっぱいになるのがふつうだと思います。

このお昼休み・通勤時間を含めると、1日に12時間程度、仕事に費やすこととなりますね。

 

そして、皆さまがご存じのとおり、1日は24時間しかないんです。

1日の半分が、仕事に費やされる時間です。

 

残りの12時間中、約7時間は睡眠時間としましょう。

すると、仕事にかかわらず、起きて生活をしている時間って、1日に5時間しかないんです。

しかも、それが週7日中、5日間続きます。それも、定年までの約43年間、ずっとです。

 

また、会社員の平均的な年間休日日数は120日前後と理解していますが、

1年間が365日であるとすると、年間245日働いていることになります。

 

22歳から65歳まで働くとして、生涯の労働日数は43年間×245日=10,535日です。

10,535日間、毎日12時間を仕事に費やしているとすると、

生涯の労働時間は126,420時間です。

 

じゅうにまんろくせん時間・・・・・・ですよ?

 

これだけの時間を、じぶんの人生の貴重な時間から割くのです。

それはもう、“やりがい”が相当につよくなければ、できません。

 

“やりがい”があまりない!と言いつつもその仕事が続けられるひとは、以下のような人だとおもいます。

・少ないながらも、1日5時間の自由時間を謳歌できる人

・やりたいことがわからない人

・あきらめがついている人

・実は仕事にやりがいを感じている人(けっこういると思います。笑)

 

わたしは、会社員としての仕事にやりがいがなかったわけではありません。

ただ、「もっとやりがいのあることがしたい」と思っただけです。

 

キャリア、転職などに悩む人はたくさんいるとおもいます。

やりたいことが変わったり、新しくやりたいことができてしまう人はたくさんいると思います。

そんなとき、冷静になって、これからの自分が労働に費やしていくであろう時間を意識してみてほしい。

 

あと、この感覚は学生時代にはわからないと思います。

アルバイト?いやいや、全然違いますから。笑

 

だからこそわたしは、社会人を経験したからこそこのことに気がつき、

学生時代には持てなかった、すごく強いモチベーションを持つことが出来ました。

 

結論。

私は社会人5年を経て法曹を目指すけど、時間をムダになんかしてないよって話です。笑

 

就職活動について

前述までのとおり、法律を学ぶべく法学部に入学したわたし。

大学3年生になるまでは、法科大学院へ進学し、法曹を目指すつもりでいたわたし。

 

そんなわたしが就職をした理由。それは。。。

 

「お金に目がくらんだから」です。

 

「イヤイヤ、実家が裕福で、お金に困らないって言ったじゃん」って思うでしょう。

そういうことじゃないんです。

私は、まわりのみんなが就職して、自分で稼いだお金を使って遊んで、

ほしいものを買って、雰囲気のよいビストロで女子会したり、

ちょっと大人なデートをしたり・・・そういうのがやりたかったんです。

 

まわりの友人みんながそうやって楽しんでいる中、

自分だけ毎日せかせかと勉学に励み、“自分のお金”を持つこともなく

あと2年も、3年も実家で暮らす・・・そんなのは無理だったんです。

遊び人出身のわたしは、そんなことは耐えられなかったのです。

 

特にわたしはまじめな国立大学法学部にて学生生活を過ごしたため、

自分もまわりも大してアルバイトもせず、ぜいたくな遊びはしなかったんです。

せいぜい、そのへんの居酒屋で飲むくらいで。

(相変わらずわたしはファッションにはお金をかけていましたが。笑)

 

そんな生活を続けた結果、

社会人の生活に対して、キラキラした、華やかで楽しいイメージだけが作り上げられていました。

 

結果として、

サクッと就職活動をしたところ業界1位を誇る、一部上場企業から内定を頂く。

あっさり就職を決めました。

 

でもね。でも。いろいろと言い訳をしましたが、

今思えば、なによりも意志が弱かったんです。

いろんな誘惑があるなかで、ひとりで気丈に勉強を続けられる自信がなかった。

きっと、それだけのことなんです。

 

約5年間働き、ここにきて進学を決めた私が今思うことはこれです。

就職して働けば、お金がもらえます。あたりまえのことです。

だからね、学部新卒で働こうが、法科大学院に進学し司法試験に受かろうが落ちようが、

働けばかならずお金はもらえるんです。

それだけのことなんです。

 

焦ることないんです。

いつからだって、働けばお金はもらえるんです。

時には、目の前にあるラクな道へ逃げたくなることもあるけど、

今がんばることで、今すこしだけ我慢することで、

将来もっとやりたい仕事ができるかもしれない。

 

今、迷っている大学生のみなさんに。

そのチャンスを、わたしのように逃してほしくありません。

 

と、滔々と述べましたが

わたしは一度社会人を経てみなかったら、

今の勉強に対するモチベーションはなかったと思っています。

だから後悔はしていません。笑

 

そんなふうに考える理由は、また次の記事で述べたいと思います。

下剋上③<大学受験>

◆2007年~高校2・3年受験期◆

父は東大法学部卒のTHE・エリートだったものの、

ひたすらに「かわいい子には旅をさせない」タイプだった。

 

あとは、父は学芸大附属高→ストレート東大であり、

経歴だけ見ればいわゆる天才コースではあるけれども、

どちらかというと“努力家”タイプだったそう。

祖父も、曽祖父も東大卒で、しかも1歳下に天才系の弟がいたため、

「絶対に現役で東大に受からねばならぬ」というプレッシャーが強く、

なにもかも犠牲にして大学受験にのぞんだそう。

その犠牲の大きさがとてつもなく大きかったらしく、大変後悔していたそうで、

父はわたしに対して

「勉強できる=エライ!」という価値観を一切教えなかった。

どちらかというと、「好きなことを見つけなさい」と言われて育った。

(ゆるふわ母は言うまでもなく、ずっとふわふわでした。笑)

 

そんなこんなで、両親ともに

「大学は、行きたいところがあれば行けばいいし、

他にやりたいことがあるならそれをやればいい。お金の心配はしなくていい。」

そう言ってくれていた。

 

そして、こんなにもゆるふわに育ったにもかかわらず、

それでもわたしには当時、「法学部で学びたい」という強い意志があった。

両親も「あなたがやりたいなら」と、心から応援してくれた。

と、とも、「こんなに勉強をさせず育てたのに、血は争えないわね」なんて

母親からは言われて。女の子は父親に似るのだなあとおもいました。

 

そして、法学部を目指したそのきっかけはとてもライトなものでした。

 

2001年~2004年にフジテレビにて放送されていた

「ザ・ジャッジ!~得する法律ファイル」という番組を覚えていますでしょうか?

 

ザ・ジャッジ! 〜得する法律ファイル - Wikipedia

 

わたし、当時小学5年生~中学生だったのですが、

この番組が大好きだったのです。

内容まではよく覚えていませんが、全くテレビっ子ではなく、

外で遊ぶほうがよっぽど好きだったわたしが、唯一テレビにかじりついて観る番組でした。

放送が終了した日は悲しくて、虚無感で胸がいっぱいだったことを記憶しています。笑

 

キムタクの「HERO」を観て法曹を目指す人や

医療ドラマを観て医師を目指す人はよく耳にしますが

バラエティを観て志すようになったわたし。

あまり他人には言っていない、わたしのキッカケです。笑

同じような人がいたらうれしいな。。

 

結果、なんとか進学校であった高校の勉強に付いてゆき

面倒見のよい予備校“早稲田塾”に通わせてもらい猛勉強の末

無事、某国立大学法学部に現役合格したのでした。

 

偏差値40以下からのココまで、わたしの下剋上ストーリーでした。

 

下剋上②<高校1年生>

◆2006年~/高校1年生◆

そんなこんなで、小学校卒業時九九もマトモに言えなかったわたしが、

「勉強ができる=スゴイ!」という価値観を身につけた結果、

地域でも名門といわれる偏差値70overの名門都立高校に進学。

 

もとのわたしを知る人たちは、この高校を受験することを決めたとき

口をそろえて「むりだ」と言っていたけれど、

不思議とわたしに迷いはなく、合格する確信があった。

 

正直、余裕だと思っていたので、滑り止めの選び方がとても雑で(笑)。

“都立の合格発表まで、入学金や授業料を一切納付しなくてもよい私立”を1校だけ受けた。

「どうせ行かない学校にお金払うなんてもったいない!」と、素で思っていた。

今考えると怖いものしらずなわたし。。。

それに、今考えれば、抑えのために払う入学金なんて、そう大きい額ではないし、

私立の小中学校に通わせてもらっているわたしが気にするところではなかった。。。

 

と、いうことに、大人になって初めて気が付いたわたしでした。

でも、狭い世界で生きている中学生にはまだそんなことわかんなかったのよね。

 

なにはともあれ、偏差値70overの都立高校に進学したわたし。

わたしはココで初めて人間関係の壁にぶち当たります。

 

そう。わたしにとってこの高校は、“初めての公立”だったのです。

わたしは小中私立育ちで、まわりの友達もみんな家が裕福で、

おこづかいに困ったことはなかったし、女子はおしゃれにお金を惜しまず使った。

 

そんなわたしが地味な都立高校に進学したところ、

とてつもなく、浮いた。もうね、まわりの目が痛いの。

なんと、この高校、私服だったんですよ。これがいけなかったのかな。

わたしはもともと“いかにも“なブランド品は持っていなかったけど、

そこそこ良いものを買ってもらっていた。

 

わたしと同世代の子たちはわかると思うんだけど、

なんちゃって制服”ひとつとっても、

ワイシャツ、セーター、スカート、ブレザー、ハイソックス、

革バッグ、ローファー、ネクタイ、リボン・・・

このへんを全部“イーストボーイ”で揃えるのが一番かわいいけど、

そこそこ値が張るブランドだから、節約をしたかったら妥協する。

 

イトーヨーカドーとかで、ロゴのない無地のハイソックスとか買うわけ。

そのへんのお店でナイロンのバッグとか買うわけ。

中学時代の制服のスカートを使いまわしたりするわけ。

 

だけどもちろんわたしはそんなことをするはずもなく、

上から下までぜーーーんぶキレイにそろえてもらってた。

 

そんなようなコトの積み重ねで、まわりとは明らかに一線を画してしまったため

はい。女子に嫌われました。はい。

学校裏サイトが流行っていた時期でして、めちゃくちゃに叩かれました。

 

でも、当時はなんで自分が叩かれているのか、サッパリ理解できていなかったわたし。

いやあ、あのころは人生でいちばんわけがわからないだけにつらかったですね。笑

 

だんだんその中でも生きる術を身に付け、

そうこうしているうちにとても居心地のよい環境になっていました。

自分の適応能力の高さに脱帽です。笑

 

高校2~3年編へつづく。

 

 

下剋上①<生い立ち>

はじめまして、27歳OLのゆうこです。

唐突ですが、現在わたしは弁護士目指して勉強中です。

 

さて、かんたんにわたしの経歴をお話しましょう。

 

◆1990年◆

東京都杉並区に生まれる。

東京大学法学部卒のエリートサラリーマンの父親

ほんわか系ふわふわ女子の母親を持つ。

 

◆1997年~/小学生◆

血迷ったふわふわ系の母親に言われるがまま、なぜか

偏差値40以下の小学校を1校のみ受験し、補欠合格。

からの、なんとか繰り上げ合格。

どれだけおばかさんだったんだ、当時のわたし…(´◦_◦`)

 

もちろん入学後も勉強など一切しない。毎日遊び狂いました。

というのも、勉強ができる=スゴイ!という校風ではなかったのです。

勉強ができるよりも、絵が上手とか、ピアノが上手、とか。

そういった才能を伸ばすコトのほうが重視されていましたから、

勉強などする習慣が付くはずもありません。

私が遊び好きな所以はこの頃の生活にあると思っています。

 

◆2003年~/中学生◆

無事偏差値40以下の小学校を卒業。

卒業時、都道府県の位置や九九は怪しかった。

特に七の段はむりぽだった。

だって、マトモに習わないんだもの(真顔)。

 

そんな自分に若干の焦りを感じ、

高校まで一貫教育の小学校だったにもかかわらず、

外部の私立中学を受験し、入学。

 

なぜ公立に行かなかったかって?

都道府県の位置もあやふやでマトモにわからないのに、

公立の授業に急に付いていけるわけがないじゃないですか。

 

そこで私が選んだ中学は、偏差値は低いものの

まじめな校風で、超面倒見のよい私立。

この中学が私に勉強ができる=スゴイ!という価値観を初めて教えてくれた。

 

テストでよい点数を取って褒めてもらえる世の中なのであれば、やりましょう。

はい、わたし、単純なので、そう考えました。

しかも、超がつくほどの負けず嫌いだったのと、

当時好きだった男の子を取り合っていたライバル関係の女の子が

成績優秀だったこともあり、負けるまいと真面目に勉強を始める。

自分のことを「おばかさん」だと思っていたし、

そうやって生きてきたわたしだったけれど、

真面目に勉強を始めた瞬間、その定期テストから全科目学年1位に。

入学当初は中学のクラス内でも落ちこぼれだったので、クラスメイトは唖然。

 

それ以降、一度も学年トップの座を譲ることなくキープ。

そして不思議なことに、確かに真面目に勉強はしていたけれど、

それが「キツイ」ことだとは全く思わなかった。

むしろ、「なぜみんなできないの?」「みんなもやればできるんでしょう?」

というテンションでまわりをいらつかせていた。笑

 

高校生編に続く。